志村ふくみ ―母衣(ぼろ)への回帰―

京都国立近代美術館で開催中の志村ふくみ展へ行ってきました。

志村ふくみ展覧会

私が志村ふくみさんを知ったのは、ある詩がきっかけでした。ノヴァーリスという詩人の「光の論考」という文章をインターネットで探していたとき、志村さんのお名前が出てきたのです。志村さんがこの詩が好きで、著作か何かで紹介している、という内容でした。

志村ふくみ展があることを知ったのはそれから間もないことでした。

自然の草木から色をいただき、糸を染め、図案をデザインし、織り、仕立てる。目に見えるかたちは「きもの」ですが、何かそれ以上のなにかがそこにはあり、圧倒的な存在感を放っていました。ふくみさんの祈りや、自然への畏敬の念、宇宙観、全てが一緒に織り込まれているかのようでした。こんな着物をまとったら、細胞まで変化してしまいそうです。

昔は糸を染めて、織って、衣服を作るといったことがもっと身近だったのかもしれませんが、今の時代では贅沢なものになってしまいました。最近特に思うのですが、暮らし自体を楽しむことって本当に豊かなことだなぁと感じます。今は、衣食住に関することは全て専門の人がやって、多くの人は何かひとつのことをして、お金を得て暮らすので、衣食住にまつわることをしなくても良くなりました。でも本当は、季節ごとに自然からの恵みをいただいて感謝し、暮らしの手仕事を丁寧に続けていくことってそれだけで生きる喜びそのものなんじゃないかな、と思います。

芸術は人の心を豊かにしてくれます。それは美術館にあるものだけではなく、日々の生活の中に見いだすものなのだなと思いました。

以下は、上記に紹介しましたノヴァーリスの光の論考です。


Alles Sichtbare haftet am Unsichtbaren –
(すべてのみえるものは みえないものにさわっている)。

das Hoerbare am Unhoerbaren –
(「すべての」きこえるものは きこえないものにさわっている)。

das Fuehlbare am Unfuehlbaren –
(「すべての」感じられるものは、感じられないものにさわっている)。

Viclleicht das Denkbare am Undenkbaren.
(おそらく 考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう)。

ノヴァーリス:“光についての論考”新断片集
光についての論文 2120 新断片集


 

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